史上もっとも悔しかった試合とノーサイド倶楽部by 慶應ノーサイド倶楽部顧問 川崎 鉄雄

2001年1月2日、大学選手権の準決勝で、負けるはずのない法政に僅差で敗れた。何で、なんで負けたんだ!負けるはずがないじゃないか!正月早々これでは今年はろくなことがないな、、、私は暗く非常に落ち込んだ気持ちになって競技場をあとにした。

和田主将率いるこの年のチームはメチャクチャに強かった。早慶戦や慶明戦も記憶にないくらい簡単に勝った。日体大戦にいたっては100点近い大差をつけた。敵は関東学院ただ一校、誰しもがそう思っていた。それが直前で法政に負けた。油断や驕りがあったのか!作戦のミスか!ロックの退場が原因か!あの日は風が非常に強かった。前半、風上に立った慶應はいつもの通りの攻めに終始した。通常、風上の場合はキックを多用するのだが、慶應はキックを使わずにボールをまわしての突破を試みた。これに対し法政は猛烈なタックルでディフェンスに集中した。その猛烈さは二人も退場者を出すぐらい反則すれすれのディフェンスであった。

前半は辛うじてリードして終了したが、後半は風下になる。私の心に少々不安が生じてきたが、それでも“後半に強い慶應”を信じていた。後半も同じような攻防であった。ところが後半も半ばを過ぎたころから法政は慶應の弱点である中央突破を試みだした。そして終了間際になって二つのトライを決められ逆転されてしまった。

ヤバーイ!もう時間がない!それでも栗原がトライを取り2点差、PGひとつで再逆転できる。ガンバレー!ガンバッテクレー!しかし法政の蹴ったキックオフのボールをインゴールでおさえ、ドロップアウトにしたところで無常にもノーサイドの笛、もっとインジュアリータイムがあるんじゃないか!と言ってみたところで後の祭り、慶應は決勝戦を前に涙を飲んだ。

あれほど悔しい試合はなかった。ほとんどの慶應ラグビーファンは同じ思いであったらしく、この試合の後、公式ホームページの掲示板は甲論乙駁、非常に賑やかであった。こうした中で真面目な慶應ラグビーファンは「俺たちの応援、支援が足りなかったのではないか、皆でまとまってもっと応援、支援しようではないか」と言い出した。これが慶應ノーサイド倶楽部発足の契機となったのである。

ところで皆さん、せっかく慶應ノーサイド倶楽部のホームページを立ち上げたのに記事があまりなくて寂しいとは思いませんか!シーズンオフということであまりニュースがないので、ぜひ私のように過去の試合の思い出などを掲示板に書き込んでください。先日、三宅監督が書いておられました立石主将のときの大東大戦なんかもいい試合でしたよね、それぞれの人が “私とラグビー” なんてテーマで書き込めば掲示板が充実するのではないでしょうか!

期待していますよ!Ted